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amzlsh

2006年09月25日

わかったつもり 読解力がつかない本当の理由

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因
わかったつもり 読解力がつかない本当の理由(著:西林 克彦)」を読んだ。

本を読んだり、文章を読んだ後、人は「わからない」ということがない限り、「自分はわかった」と認識する。しかし、本当は「わかったつもり」になっているだけであって、「本質は理解できていない可能性もある」ということを本書は指摘している。

そして、その「わかったつもり」の状態は、一種の安定状態のため、それ以上の探究をしようとすることを妨げ、それ故に「わかったつもり」状態が維持されたままになる。

ちなみに、筆者が定義する「わかったつもり」の状態とは、「文章や文において、その部分間にある種の関連がついてわかった状態」。だから、全く理解できていないということではない。しかし、「部分が読めていない」ので、「間違った」または「不十分なわかったつもり」になっている可能性がある。

「よりよく読みたい」と思うなら、「わかったつもり」という状態の存在をはっきりと意識すること、そこからの脱出をいかに図るかをはっきりと認識しておかなければならないそうだ。

この本では、時々、大切なところで「まとめ」をしてくれ、最終章でも、それらの「まとめ」をさらに「まとめ」てくれているところに、筆者の心配りというか、わかったつもりにならないような工夫をしてくれていると感じた。また、読んだ文章について「まとめる」行為は、自分自身がどういう「わかったつもり」の状態になっているのかを見極められる方法でもあると奨めている。なので、その「まとめ」があることで、だいぶ理解を助けられた気がする。

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因西林 克彦

おすすめ平均
stars得るものがある
stars全く新しい観点の本
stars主張は論理的だが、実行は難しい。
stars「わかったつもり」の人こそ読んでほしい本
starsステレオタイプのスキーマ

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筆者が言われる通り、一読後「自分は今まさに『わかったつもり』になっている」と認識して、さらに2回読み直してみた。だが、理解ができているかどうかは不明。なので、自分にとって参考になったところを、本文のまとめとして以下のように記載しておく。

【文章がわかるということ】


 本を読んだり、文章を読むとき、私たちは無意識のうちに、その「文脈」から導かれる「スキーマ」を使って理解していく。「文脈」とは、「物事・情報などが埋め込まれている背景・状況」のことで、「何の話かわからない」というときの「何の話」にあたるもの。また、「スキーマ」とは、「あることがらに関する、私たちの中に既に存在しているひとかたまりの知識」。

【わかったつもりからの脱出】


 「わかっている」けれど「大雑把」。これが通常の一読後の状態。この状態から抜け出すには、自分は「わかっている」と思っているけれど、「わかったつもり」の状態にあるのだ、と明確に認識しておくことが必要。よりよく読むためには、自分で作り上げた現在の「わかった」状態を、自分で壊さなければならない。敵は自分。 どのようにして、自分の「わかったつもり」に対応していくか?

 まずは「わかったつもり」の状態を見極めるために、読んだ文章について、意識的に自分なりの「まとめ」をしてみる。

 そのまとめが、あまりに簡単であった場合には、「ステレオタイプのスキーマによる魔物」か、「文章構成から誘われやすい魔物」による「わかったつもり」になっている。

 「まとめ」が自らの慣れ親しんでいる「ステレオタイプのスキーマ」と同一である場合は、それを当てはめているのではないかと、自らの「読み」を疑ってみる。この場合、慣れ親しんでいる「スキーマ」を意識しながら文章にあたり、それに反する部分を意識的に見つけることを試みてみることにより、「わかったつもり」を乗り越える手がかりができる。

 文章に沿って読んでいるつもりだが、「まとめ」があまりにも簡単な場合は、文章構成にミスリードされた各種の「魔物」に搦め取られていることを疑う。どこかで「読み飛ばし」が起こっている可能性があるので、どこからどういう変化をしたのだろうという文脈で、文章を見直す手だてが有効になる。

 文章の中に出てきた各種の事例やできごとが、個別の特徴を伴って思い出せないときは、「『いろいろ』というわかったつもり」になっている。事例に関しては、なぜそれが事例になるのかという文脈や、他の事例とどこが同じでどこが異なっているのかという文脈で、それぞれの部分を見直すことが大切。また、できごとに関しては、なぜそのできごとが、記述内のその部分におかれているのかを、前後を見渡して見直してみる。

 自分が「どうも通りのよい、当たり障りのない解釈・読みとり」をしているなと感じたら、文章に誘発された「ステレオタイプのスキーマ」の魔力に搦め取られている。文章を読んで概略や解釈を述べるときに、「当たり障りのないきれいごと」が出てきたら要注意。そのときは、その「当たり障りのないスキーマ」を意識しながら、それが本当に文章の当該部分に適用できるのかと疑い、記述にあたってみる。

 これら各種の「魔物」によって作られた「わかったつもり」は、大雑把な文脈を用いて文章の各部分から大雑把な意味を引き出して、全体として整合性がとれている状態。搦め取る魔力を持った大雑把な文脈を使っているがゆえに、部分が細かく読めていない状態に陥っている。

 「わかったつもり」の状態を乗り越えるためには、それぞれの「魔物」に対して有効な手だてを講じればよい。すなわち、「魔物」という大雑把な文脈にかえて、もっと「部分」に焦点が当たるような「新たな文脈」を大胆に導入するのである。「新たな文脈の導入」とは、「部分を読む文脈」を交換していくことだ。

 最初の「わかったつもり」を、文脈を交換しながらたんねんに読むことによって壊すと、通常、次には新たな「矛盾」や「無関連」による「わからない」状態が待っている。しかし、そのような「矛盾」や「無関連」が、次の「よりよくわかる」ための契機となる。

 しかし、これで読みが終わるわけではない。「よりよく読めた」という状態は、「以前よりはよく読めている」状態かもしれないが、その状態を乗り越えるための、もっとよい読みが存在するかもしれない。「読み」という探究の過程に、終わりはない。
posted by KazuS at 05:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読後ノート
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